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祖父の親友と、いま同じ職場にいる。──25歳が見つけた“働く理由”

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祖父の親友と、いま同じ職場にいる。──25歳が見つけた“働く理由”

「……え? 能澤さんって、うちのおじいちゃんの親友だったんですか!」
ある日、現場帰りの車の中。何気ない会話の中で祖父の名前をふと口にすると、助手席の能澤さんがこう答えた。

「おう、久保くんのおじいちゃんと、昔よう一緒に麻雀やっとったわ」
思わず聞き返してしまった。久保くんの祖父は、今から20年ほど前に他界した人物で、能澤さんとは高校時代からの親友。仕事仲間でもあり、麻雀仲間でもあった。まさか、その祖父の“麻雀仲間”と、いま肩を並べて働いているなんて——。

そう語るのは、昨年米田木材に転職してきた設計士、久保くん。
入社から間もなく、彼は思いがけない“再会”を果たした。相手は、83歳で現役バリバリの営業担当として今も現場の最前線に立つ能澤さんだった。

久保くんの祖父は、彼が小学校1年生のときに他界しており、記憶はほとんど残っていない。それでも、家族や親族から語られる“愛情深い祖父”の姿は、ずっと心のどこかに残っていた。「まるで亡くなった祖父と再会して、一緒に働いてるみたいな気分です」と久保くんは笑う。能澤さんは、いまも毎年1棟以上の家を契約に結びつける、いわば“現場主義のレジェンド”。そんな83歳の先輩と肩を並べて働くことになるとは、久保くん自身も想像していなかった。しかも、その姿が“特別扱い”されることなく、ごく自然な光景として受け入れられているのが、この会社の空気だ。そのことに久保くんは、ある種のカルチャーショックを受けたという。

「会社は自己実現の舞台である」。

これは、米田木材の社長がよく口にする言葉だ。けれど、自己実現とは、いったい何歳まで目指せるものなんだろう?そして、自分にとっての“働く意味”って、なんなんだろう?この記事では、25歳の若者・久保くんが、83歳の先輩と同じ職場で過ごすなかで見えてきた「自己実現のリアル」について綴っていく。

25歳から見た83歳の“働く姿”──「生きがい」ってなんだ?

「正直、いまの若い世代って、“働く”ってこと自体にどこか抵抗があると思うんです」そう語る久保くんの言葉には、同世代への客観的な視線がにじむ。
「自分も含めて、やらされてる感覚だったり、“どうせ報われない”っていう冷めた気持ちだったり……そういうのを、どこかで抱えてると思うんですよね」けれど、能澤さんを見ていると、その感覚は揺さぶられる。毎朝決まった時間に出勤し、誰よりも丁寧に現場に足を運ぶ。どんな施主にも敬意をもって接し、そして感謝を忘れない。83歳の能澤さんは、まるで“生きがい”として仕事に向き合っているように見えた。

「僕がびっくりしたのは、“仕事があることに感謝してる”っていう姿勢なんですよ」仕事を“やらされるもの”じゃなく、“ありがたいこと”として受け止めている。それは久保くんにとって、これまで出会ったことのない価値観だった。

「能澤さん、たまに言うんですよ。『今日も呼んでもらえてありがたい』『行く場所があるって幸せだ』って。83歳の人がそう言ってるのに、25歳の自分は何をグチグチ言ってるんだろうって、思っちゃいましたね(笑)」

自分は、なぜ働くのか。

「好きなことを仕事にしたい」と願っていたはずなのに、いつの間にか“こなす”ことばかりに意識が向いていた。でも、能澤さんの姿を見て、ふと気づく。「あ、もしかして、“仕事が好き”ってこういうことなのかもしれない」久保くんのなかに、少しずつ変化が生まれ始めていた。

ぼくのアイデアが、お客さんの家になっていく──前職との決定的な違い

「前の会社では、図面を描いてるのに、描いてる感じがしなかったんです」久保くんがそう振り返るのは、かつて勤めていたハウスメーカーでの日々。企画住宅が中心で、間取りもデザインも、あらかじめ決められたパターンのなかから組み合わせていく。「この家、ちょっと暮らしにくくない?」と内心思っても、それを変える余地はほとんどなかった。「自分が何のために図面を描いてるのか、わからなくなっていきました。

一人ひとりの暮らしにぴったりの家をつくりたくて、設計士になったはずなのに──気づけば“マニュアルどおり”の図面ばかり描いていたんです」そんなモヤモヤのなかで、出会ったのが米田木材だった。

入社してまず驚いたのは、先輩設計士たちの姿だった。素材の選び方にもこだわり、お客様一人ひとりと、まっすぐ向き合いながら“暮らし”を一緒に描いていく。プランも、図面も、言葉も、誰かの受け売りではなく、自分自身の想いをのせて語っていた。「……この人たち、ほんとうに設計を楽しんでるんだな」その姿を見たとき、久しぶりに心が動いた。「ここなら、自分の設計ができるかもしれない」そう思えた。

とはいえ、すべてが順風満帆なわけではない。現在進行形で担当している案件では、プレゼンがなかなか通らない。「自分がいいと思うもの」と「お客様が求めているもの」がずれることもある。打ち合わせを重ねるなかで、伝え方や考え方を何度も見直す。「何が“いい提案”なんだろう?」
今まさに、その問いと向き合っている最中だ。けれど、不思議とその時間が、しんどくはなかった。「どうすれば伝わるか」「どうすれば喜んでもらえるか」を考えるのが、どこか楽しかった。たぶん、それは“自分の頭”で考えているから。誰かのコピーではなく、自分の言葉で試行錯誤しているから──。

そんなある日のことだった。担当しているお客様との打ち合わせを終えたあと、ふとした会話のなかで、こんな言葉をかけられた。「今日はありがとうございました。……ほんとに、やっと夢が叶う気がしてきました。」その一言に、胸がじんわりと熱くなった。まだ施工は始まったばかり。家が完成するのは、半年以上も先のこと。それでも、図面の向こうにある“暮らし”を、お客様と一緒に描けている実感があった。「設計って、人の気持ちに触れる仕事なんだ」と思えた瞬間だった。

迷いは、ある。
葛藤も、ある。
でも、ここには「伸びしろ」がある。

いまの自分が悩みながらも、前に進もうとしていることを、ちゃんと受けとめてくれる空気がある。「まだまだなんですけど……。でも、ちゃんと設計してるなって思えるんです、今は。」そう言って笑う久保くんの表情に、少しだけ自信がにじんでいた。

自己実現の“輪郭”を描き始めた日々──仲間と環境が後押しする「未来設計」

入社して驚いたことの一つが、「社員同士の距離の近さ」だった。部署の垣根がなく、若手同士で相談し合える空気感も心強い。入社間もない自分でも、気兼ねなく意見を口にできる雰囲気がある。最近入社した堀さんは、米田木材で初めての「専任採用担当」だ。つい最近まで大学生だった彼女は、“学生の気持ちがわかる採用担当”を自認していて、まだ入社間もないながらも、社内で少しずつ存在感を発揮している。年齢も近い彼女とは、将来のことを気軽に話し合える関係だ。

「やりたいことがあれば、口に出してみたらいいよ」そんなふうに背中を押してくれる仲間がいると、自分の中の“妄想”にも、少しずつ輪郭が出てくる気がする。

「じつは、NBA観戦が大好きで──将来、バスケ好きが集まれるような空間を設計してみたいんです」あるとき、そんな突拍子もない話をしてみた。久保くんは、熱烈なNBAファンだ。大画面で試合を流しながら、バスケ好きが自然と集まるような空間。食事だけじゃなく、ちょっとしたイベントやグッズ展示も楽しめる。「建築って、そういう場づくりもできるんだよな」と思った瞬間、ふっとこの発想が浮かんだ。以前なら、こうした話は「飲みの席のネタ」で終わっていたかもしれない。でも今は、誰も笑い飛ばさない。むしろ「それ面白いね!」と耳を傾けてくれる仲間がいる。

「富山にも、そういう“バスケと空間のかけ算”みたいな場があったらいいな」そう考えるようになった。まだ妄想の域を出ない。けれど、米田木材という会社の空気が、久保くんの中の“やってみたい”に灯をともしてくれている。

そしてもう一つ、彼の中で芽生えている想いがある。「富山の良さを、空間で表現できたらかっこいいな」と。生まれ育った富山には、素朴だけど、どこか落ち着く風景があって、人と人との間にも、いい意味での“間”や温かさがある。例えば、冬の光の入り方とか、木材の使い方とか──富山の風土を肌で知っているからこそ表現できる住まいが、きっとある。

「“富山っぽい”って感じてもらえる空間って、どんなだろう?」

そんな問いが、少しずつ彼の中に根を下ろし始めている。とはいえ、久保くん自身はまだ「大きなプロジェクトを起こそう!」と意気込んでいるわけではない。今は目の前の案件にしっかり向き合うこと。そして、1級建築士の資格を取り、自分の設計に自信と裏付けを持つこと。それが今の一番の目標だ。

「夢は口にした瞬間、現実になるための第一歩になる」──そう語る久保くんの言葉には、青臭さではなく、しっかりと地に足のついた意志がある。この会社に来てから、彼の中で“自己実現”という言葉の輪郭が、少しずつ見え始めている。

あの日、自分が設計した家のプランを、まっすぐ見つめるお客様の目に触れたとき。「自分がやっていることが、誰かの人生に、確かに影響を与えている」そんな実感が、久保くんの胸にふっと灯った。

まだ、できることは多くない。
迷うことも、失敗することも、きっとこれから山ほどある。

けれど、背伸びせずにまっすぐ、目の前の仕事に向き合っていれば、その先に、自分なりの“答え”が待っている気がする。――この場所には、そう思わせてくれる空気がある。肩書きや年齢にとらわれず、誰かの「やりたい」に本気で向き合う人たちがいて、その中で、自分もまた、少しずつ「自分らしさ」を形にしていける。きっと、そんな場所で働けることが、いちばんの“未来の土台”になるのかもしれない。

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YG TIMES編集員

倉増 京平

2002年、電通グループ企業(現社名 電通デジタル)に入社。顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。 コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年から米田木材に参画。ドリームマネージャーとして、社員一人ひとりの胸の内にある価値観や顧客の声に耳を傾け、企業の本質的な魅力を言語化。長く愛されるブランドづくりに取り組んでいる。